top of page


仕組みは人を守れるか
私たちが生きる社会や仕事の現場では、様々な「仕組み」があることが前提になっています。 しかし私たちがそれを日常の中で意識する機会は、ほとんどないかもしれません。 法律、基準、制度、役割。産業医もまた、働く人を守る「仕組み」の一部として設計されました。 産業医制度が整えられてきた背景には、高度経済成長期の工場労働、有機溶剤や粉じんによる職業病の問題があり、職業病対策としてのじん肺法や有機溶剤中毒予防規則などの規制が一つの体系に整理される形で、1972年に労働安全衛生法が制定されました。 長時間労働も増え、さらに2000年代になるとインターネットの普及、情報化社会となり、主な労働リスクもメンタルヘルスへと移り変わり、2015年にはストレスチェックが導入されました。 このように産業構造が変化するにつれて、労働リスクの変化もあり、それに伴って産業医として求められる内容にも変化がみられます。 「仕組み」という固定化したシステムの中で変化を捉えて対応すること。 それは新たな仕組みを増やすことかもしれないし、バラバラにあった仕組みを統合することかもしれません。


身体は、管理できるシステムなのか
仕組みが人を守れるかを問う前に、人間そのものを、どの解像度で扱っているのかを問う必要があるかもしれません。 身体は、しばしば「管理すべきもの」として扱われます。数値で測り、基準と比べ、逸脱があれば是正する。このやり方は、ある解像度では確かに有効に見えます。集団を扱うとき、再現性が必要なとき、身体を一つの“単純なシステム”として見ることは、現実的な選択でもあります。 けれど、解像度を上げて身体を見ていくと、この見方は急に不安定になります。 人間の身体は、壊れないように固定されたシステムではなく、揺らぎ、崩れかけ、それでも戻ろうとする過程そのものが、あらかじめ組み込まれています。 疲労も、不安も、痛みも、多くはバグではなく、それはシステムが自分の限界を内側から知らせるためのフィードバックなのではないでしょうか。 管理とは、本来、外から制御し、安定させることを意味します。ですが身体は、外から完全に制御されることを前提に設計されているようには思いません。 解像度が低いとき、管理は身体をきちんと守るように見えます。解像度が上がると、同じ管理方法が、身体を粗


見えないものを、どう扱うか
私たちは、見えているものを前提にして、人を扱い、組織や社会を設計してきました。数値、ルール、役割、評価指標。それらは確かに重要で、現実を動かしています。 けれど同時に、その設計は「見えている範囲」によって形づくられています。設計の時点で捉えられていなかったものは、そこには含まれません。 個人で言えば、検査値に表れない疲労感や、言葉にしづらい不安感。 組織で言えば、空気の重さ、対話の減少、誰も判断を引き受けなくなる瞬間。 それらは最初から存在していなかったわけではなく、ただ測定・観測できない、設計の前提に入っていなかっただけです。 その結果、その見えない領域は、後になって「不調」や「不具合」として姿を現すことがあります。それは、見えないものを無視したからではなく、見えないものを そもそも扱える形にしていなかった だけです。 私たちが現実として共有してきたのは、測定でき、説明でき、再現できる形式に落とし込まれたものでした。それ以外のものは、否定されたのではなく、設計の前提に入らないまま、水面下に置かれてきたものもあるでしょう。 管理とは、可視化された
bottom of page
