精気と拍動 ― 生命のはじまりと気の流れ
- itanochisako
- 5月29日
- 読了時間: 2分
精気の目覚め ― 拍動よりも前にあるもの
「生命は心臓の拍動から始まる」とよく言われます。けれど、本当に最初に動き出すのは、じつは別のものです。
生命の物語は、精子の尾が震え、進もうとするところから始まります。それは物質であると同時に、すでに動きそのものであり、「気」のはじまりともいえるでしょう。
東洋の言葉では、この精子のもつ生命力を「精(せい)」と呼びます。「精気」とは、まだ形を成していない生命のエネルギーのこと。拍動は、その精気がかたちをとり、響きはじめたあとの出来事なのです。
気は、構造をめぐる風
気は、風のように見えないけれど、確かに「流れる」ものです。私たちの身体においては、筋肉の張力や骨格の配置、内臓の収まりによって、その流れは促されたり、妨げられたりします。
たとえば、呼吸。無意識でも続けているものですが、息を深く吐こうとすると、自然に横隔膜が動き、内臓の位置が変わり、血流も変わります。意識した「気の動き」が、構造にも影響を及ぼすのです。
このことを組織にも当てはめてみると、人の想い=気が、チームや制度に流れ込むことで、そこに新たな流れが生まれます。気が通らなくなると、制度は硬直し、人の動きも滞っていきます。
気と構造は、一方通行ではなく、常に相互に影響し合っているのです。
気が構造を育てる ― 想いは仕組みになる
精気が動き出すことで生命は始まり、拍動がそれを支えるリズムとなり、さらに神経やホルモンが働いていく。そこには段階的な発展がありますが、その起点には、目に見えない「意志のようなもの」が確かに存在しています。
これは社会や組織でも同じだと考えています。
人の内にある想い、関心、願い。そうしたものが「気」として流れ出し、やがてかたちになり、仕組みになります。
気の動きを信じ、整え、流れるように導くことで、私たちは「生きた構造」を生み出せるのです。
精気の記憶を思い出すとき
私たちは今、気が滞り、拍動のリズムを見失いかけている社会に生きているような気がしています。それでも、生命はなおも続いています。心臓は打ち、呼吸は流れ、想いはまだ動いています。
始まりを思い出すこと。動き出そうとする「精気」の瞬間を、身体の奥底に感じること。
それは、未来に向けた大きな希望です。
私たちはまた、気がめぐる構造を、身体のように、暮らしのように、取り戻していくことができるのです。
