資本主義と身体のリズム
- itanochisako
- 5月29日
- 読了時間: 3分
更新日:6月2日
その循環はどこに向かうのか
「経済がまわってる」とか、「事業を回す」という表現があると思います。
その「回す」、「循環」って、どこに向かっているのでしょうか。
「回る」と「生きる」は違います。
実はその違いの片鱗を、私たちは自分の身体のなかに見つけることができるのです。
神経伝達物質とホルモン ― からだに学ぶ二つの時間軸
私たちの身体では、心身の状態に影響し合う神経伝達物質やホルモンなどがはたらいています。
例えば、ドーパミンという神経伝達物質は、短期的に「やる気」や「快感」をもたらし、報酬が得られる予感で脳を刺激して、行動を促します。しかしその回路は報酬系といって、依存を生み出すこともあり、この現象がたばこやギャンブルなどがやめられない背景にあります。
一方、ホルモンのひとつである成長ホルモンは、睡眠中に分泌され、幼少期にはその名の通り骨格の成長を促したり、成人したあとも身体の再生、細胞の修復にかかわっています。
どちらも人間の身体にとって大切なはたらきですが、前者は瞬間的な信号伝達、後者は持続的に作用する内的な構造調整といった役割で、その性質は根本的に異なっています。
資本主義というしくみとの関係
効率や成果を求める資本主義社会はドーパミン報酬系のサイクルととても相性が良いようです。
その刺激が人口の増加といった実態を伴った背景の上で、成長ホルモンの働きと同じように、それらが合わせて機能していたような時代には、社会に生きる私たちも実際にたくさんの豊かさを味わうことができたのだと思います。
金融の仕組み上、お金を借りるということはまだみぬ将来の価値=まだ実態のない価値が流通することですが、まだ見えぬ背景の在り方が変わってしまい、実態を伴わなくなってしまうとどうなるでしょうか。
私はこの状態が、身体でいえばドーパミン報酬系の回路のみがまわっている状態のように思うのです。
ドーパミンのように「報酬の予感」だけで動く仕組みは、私たちの体内においては依存を生み出し、やがて身体的、経済的、社会的破綻を招き得るように、社会においてもいずれ破綻を招くことは必然のように感じています。
そこに例えば成長ホルモンのはたらきような、「実体の再構築」が伴わなければ、社会も身体も長くは保てないのではないでしょうか。
心臓の拍動 ― 生の根源としてのリズム
さまざまな機序がはたらく私たちの身体ですが、それらすべての根本にあるリズムがあります。
受精後まもなく、動き出すもの。
胸に手をおいたらだれもがその拍動を感じられるはずです。
そのリズムがなければ、酸素も栄養も運ばれず、神経もホルモンも機能しません。
その拍動は「報酬」ではなく、ただそこに「在る」、絶対的な力です。
拍動は、まだ続いている
身体の仕組みは、社会の在り方を理解するための深いヒントを私たちに与えてくれます。
今の社会の在り方に希望が見いだせなくなっても、私たちは何度でも造り変えることができる。
だってこの長い歴史の中で社会がどうあろうと、わたしたちの胸の拍動は一度たりとも止まったことはないのですから。
それに私たちが気づいたとき、身体に合った、心豊かな社会がみえてくると思うのです。
